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富士重工業

富士重工業(ふじじゅうこうぎょう、FHI)は、日本の重工業メーカーのひとつ。「スバル(SUBARU)」のブランド名で自動車などを製造している。 英訳名は、Fuji Heavy Industries Ltd.。通称「富士重工」、「富士重(ふじじゅう)」とも。
スバル(富士重工)公式サイト

1999年12月からゼネラルモーターズと資本・業務提携をしていたが、2005年10月5日に、ゼネラルモータースが保有する富士重工株20%をすべて放出、そのうちトヨタ自動車が8.7%を買い取り筆頭株主となった。今後は富士重工とトヨタが資本・業務提携する。 また、ゼネラルモーターズ(GM)グループのスズキと、部品の共通化などをすすめている。スバル車オークション情報

スバルは早い時期から四輪駆動(4WD、All-Wheel Drive の略で AWDとも)技術を実用化しており、日本において乗用車タイプの四輪駆動車を発売した最初のメーカーであった(但し、オリジナルはレオーネ・バン)。 2005年現在は軽自動車を含む全車種にAWDが用意されている。特に小型系3車種のうちレガシィフォレスターは全モデルがAWDとなっている。 同社のアイデンティティともいえるのが、フロントオーバーハングに縦置きした水平対向エンジンに四輪駆動を組み合わせた、シンメトリカルAWDである。 またモータースポーツとしてはWRCなどに参戦しており、その技術が市販車に活かされている。1990年にはイタリアのモトーリ・モデルニ社と共同開発した水平対向12気筒エンジン「スバル モトーリ・モデルニ」を搭載した「SUBARU COLONI C3B」でF1にも参戦したが、一度も予選を通過することなく撤退した。
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沿革
1917年に中島知久平が創設した飛行機研究所が起源。 中島飛行機を前身とする。戦後中島飛行機は12社に分割されたが、1953年7月15日に旧中島飛行機系5社が合同して富士重工業株式会社として設立。 その際に参加を熱望されながらもブリヂストン傘下で独自の道を歩んだ富士精密はプリンス自動車に発展し、スカイライン等の名車を生み出しながらも日産自動車に吸収合併された。
1966年に東邦化学株式会社と合併し、存続会社を東邦化学株式会社として商号を富士重工業としたため、法律的には消滅している。(株式額面金額変更が目的)
本社は東京都新宿区新宿駅西口のスバルビルにある。
工場は群馬県太田市を拠点とし、周辺の市町にもある。
スバル(昴)とはプレアデス星団の和名。別名「六連星(むつらぼし)」ともいい、富士重工業のシンボルマークとなっている。
一時期、「スバル株式会社」への社名変更を計画したが、創業50周年の2003年7月15日をもって、従来の富士重工の頭文字を取った(フ)マークの社章を自動車ブランド・スバルと同じ「六連星」に変更するにとどまった。
一部で『谷村新司が歌う「昴」は元々はこの会社のイメージソングであった。』とされるがこれは正しくない。「昴」は歌詞から見ても別れの唄である。富士重工を意識して製作された歌謡曲は「我が人生は昴なり」(作詞作曲:石坂まさを、唄:美帆さゆみ)である。作曲家の石坂まさを自身が熱烈なスバルファンであり、「生真面目で人情味あるスバルの姿を唄い上げたもの」と公言している。原作は「我が人生はスバルなり」であったが、発売時には商品イメージを消すためにあえて漢字の「昴」を当てている。 なお、スバルを中国語表記すると「速覇陸」であり、WRCで活躍する同社のイメージにふさわしい漢字が当てられているといえる。
1984年3代目レオーネ9タイプの型式指定を受ける際、試作車が申請書類上の重量より5.5〜30kg軽かったということから、バンパーなどに鉛を詰めて辻褄を合わせた事件が発覚する。
1990年に日産ディーゼル社長(当時)の川合勇が着任し、現在の主力車種の多くの基盤を確立、同社の危機的状況脱出への道筋をつけた。
1997年にレガシィ(スバル)のエンジン欠陥などのリコール隠しが発覚。運輸省による立ち入り検査が行われ、同省より警告を受ける。



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